最近読んだ本

【本】淡々としているがゆえに痛切な戦争批判・・・井伏鱒二『黒い雨』

今日は広島への原爆投下からちょうど67年目となる日でした。

今年はオリンピックの陰に隠れてニュースなどの扱いも小さい気がしますが、広島では平和祈念式典が行なわれ、平和への祈りがささげられました。

 

さて、戦争や原爆を描いた物語は数多くありますが、その中で私がつい最近読んだのが、井伏鱒二の「黒い雨」です。

新潮文庫の「夏の100冊」キャンペーンに毎年必ず入っている常連さんです。有名な作品ですよね。

私が高校生のときの話ですが、夏休みの宿題で「文学作品を読んで読書感想文を書け」というものがありました。

ちょうどその当時、国語の教科書で井伏鱒二の「山椒魚」という小説を勉強したところでした。

「じゃあ、夏の100冊に入ってるこの人の作品を題材にしようかな」と思って買ったのが「黒い雨」でした。

しかし・・・買ったのはいいんですが、やや厚いその本に気おされて、結局読むのを断念(こらこら!) もっと薄い小説に切り替えてしまいました(苦笑)

そんなわけで、買ったのに読まないまま10年以上が過ぎたわけですが、今年ひょんなことから「もう一度読んでみよう」と思い立って、この本を買い直しました。

ちなみにこの小説、今年も相変わらず夏の100冊に入ってます。

書名: 黒い雨
作者: 井伏鱒二
出版: 新潮文庫

 

主人公の閑間重松(しずましげまつ)とシゲ子夫妻は、姪の矢須子を預かって広島市内に住んでいたときに被曝しました。

物語は、その数年後から始まります。

重松は軽度の原爆症に悩まされつつ、なんとか普通の生活を営んでいます。

矢須子には原爆症の兆しは出ていません。

しかし、年頃の彼女に縁談の話がまとまりそうになるたび、後遺症を心配する相手が断りを入れてくる、ということが繰り返されました。

そして、また矢須子に新しい縁談の話が持ち上がります。

今度こそうまく行かせてあげたい。

そう思った重松は、原爆投下時に矢須子が爆心地から遠くにいたから、原爆症の心配はないということを証明するため、被曝当時に重松や矢須子がつけた日記を相手に送ろうと、手書きで複写します。

その日記に沿って原爆投下前後の数週間を回想するかたちで、物語が進行していきます。

 

この作品のタイトルの「黒い雨」というのは、ご存じのように、原爆の後に降ったという放射能を帯びた灰を含む雨のことです。

原子爆弾による被曝をテーマにした小説であることを、非常にストレートに物語るタイトルと言えます。

このタイトルを見た私は、「さぞかし戦争のむごたらしい有り様を生生しく描写した、反戦を高らかに宣言する小説なんだろうな」と思っていました。

だけど実際読んだ印象は少し違いました。

この小説は、確かに原爆投下前後の様子を克明に描写していますが、ごく普通のとある家族の視点から、抑えた筆致で淡々とつづっていきます。

激しい感情や著者の主張などは極力控えられていて、まるでドキュメンタリー映像を見ているような感触をおぼえました。

そこからは、大所高所から戦争と平和を語るだけではわからない、「戦争や原爆は自分と同じごく普通の人にとってどんな経験なのか」がじわじわと重みをもって伝わってきます。

私たちはともすると理念や論理で平和を語りがちですが、頭でっかちにならないように、末端の一人ひとりの人間のリアルな感情や皮膚感覚といったものを忘れないようにしなくてはいけないと思います。

「黒い雨」は、私のような戦争を直接知らない世代が、そうしたことを知る・想像する手掛かりを与えてくれる小説だと感じました。

 

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