事情を知らない方は、今回の記事のタイトルを見て非常に意味深な解釈をしたかもしれませんが、そうではないです(笑)
1月にこのブログでも書きましたが、妻が長らくの間安静を言い渡されました。家事も許されず、かといって私も仕事から手が離せないため、しばらく実家のお世話になっていたんです。
2歳の太郎も一緒におじいちゃんおばあちゃんの家住まいになりました。毎日、車で20分以上かけて私の家のそばにある保育園まで送り迎えをしてもらうなど、本当に本当にお世話になり、また苦労をかけてしまいました。
そんな奥さんも安静解禁からしばらく経ち、再び私が住む横浜の家に住むことになりました。もちろん太郎も一緒です!
今日、おじいちゃんおばあちゃん家にたまりにたまった荷物をもって、プチ引っ越しをしてきたところです。
本当によかった!
うすうすお察しの方もいるかもしれませんが事情を書きますと・・・
実は私たちは昨年の秋、お腹の中に新しい命をさずかったんです!
ところが1月に入ったある日の夜、突然妻が出血してしまいました。
医師の診察によると、子宮にできた血腫が破れたこと。幸い赤ちゃんは元気だったのですが、出血が完全には止まらず、またお腹に残っている血腫のサイズがかなり大きいことなどから、即入院・絶対安静を言い渡されました。
当時はまだ妊娠4か月目。それなのに、いつ退院できるかわからない。最低1か月、悪くすると出産までそれが続くかもしれない。血腫を散らす手術や薬は特になく、ただじっとするしかない。歩くことすら基本、禁止。
診察をうけたその瞬間は、厳しい行動制限、見通しの立たなさ、仕事や太郎への影響など、とにかく心配ばかりが押し寄せてきて、気持ちと日々の生活に整理をつけるのに少し時間がかかりました。
でも、妻の両親の助けもあってなんとか状況も安定、少し前に安静状態解除の許可をもらったのですが、もうしばらく実家で様子を見てもらって、ついに今日、自宅への帰宅となりました。
今回の一件を通して感じたことが2つあります。
1つは、妊娠・出産ということは、やはり壮絶な営みなんだということです。
太郎のときは、正直言うとそこまで切実なこととして妻の妊娠・出産をとらえ切れていない面があったと思います。言い方が悪いですが、妻まかせの、どこか他人事な面があったように思います。
けれど子どもが生きるか死ぬかの状況に直面して、はじめて本気で生命を授かり生み育てるということの切実さ、生々しさを心の底から実感した気がします。
今の医療技術でも、お腹の赤ちゃんに関してできることは実はかなり限られている。そんな中でお母さんは自分の心と身体に多大なリスクを引き受けながら、赤ちゃんをお腹の中で育ててくれている。
奥さんだけでなく世間一般のお母さん達に対して・・・なんだろうなぁ・・・ちょっと大げさだけど、尊敬の念みたいなものを抱くようになりましたね~
もう1つは、子どもは親に何かあっても、なんとか順応するものだということ。
とにかく母親っ子の甘えん坊で、人見知りで、少し違う状況になっただけで神経質に拒否反応を示す太郎が、お母さんが入院しても実に良い子におじいちゃんおばあちゃんと過ごしてくれたのは、私たち両親には嬉しい発見でした。
大人が思うよりも子どもはずっと順応性を持っているものなんだな、と。
でも、お父さんお母さんがいない時にいつも以上におとなしくいい子にしていた太郎も、お母さんやお父さんを見るとそのガマンを脱ぎ捨てるように嬉しそうな顔で我がまま言ってきました。
そういうのを見ると、「なんだかんだ言っても、やっぱり親に甘えたい年頃なんだよなあ」とか思ったりしました。
そういうわけで、お腹の赤ちゃんの次郎(笑。男の子なのは確定)は7月に生まれる予定です。
普通の妊婦さんよりも慎重に過ごさなければと思いますが、ようやくここまで来られたことに、ひと安心しています。
皆さんによいご報告ができるよう祈りながら、あと1か月ちょっとを待ちたいと思います。