科学・技術

人工知能の発達は社会をどう変える? スリリングな問題提起: 書籍 『人工知能って、そんなことまでできるんですか?』

私は電気系の技術者ですが、いま、仕事上の必要に迫られて「最適化」の技術について勉強しています。

製品を設計するときは、各部の寸法から使う材料や回路素子の値まで、いろんな要件(パラメータ)を数値で決めていきます。高い製品性能を実現するためには、当然のことですが、寸法や特性値の最適な組み合わせを見つけ出す必要があります。

その最適な組み合わせを、なるべく少ない試行錯誤で実現するための数学的テクニックが、最適化と呼ばれるものです。

まあ最適化数学を使えば、理想的な設計案が簡単に導き出せる…なんてことは決してないんですが、ある限られた範囲で設計を効率化するためには役に立つ技術だと思います。

というわけで、久々にヤヤコシイ数学が登場する本を、ゆっくりしたスピードで読んでるところです。

 

さて、この「最適化」の技術というのは、いわゆる「人工知能(AI)」の技術と重なる部分が非常に多いです。

人工知能というのは、「人間の脳のように、周囲の環境や入力情報の変化に柔軟に対応して最適な処理を行うプログラム」ということなので、結局のところ、最適な値の組み合わせを導き出す問題と同じなんですね。

なので、アマゾンの電子書籍の月間セールでこんな本が出ているのを見て、興味をひかれて即 買ってしまいました。

 

東大准教授に教わる「人工知能って、そんなことまでできるんですか?」
著者: 松尾豊、塩野誠
出版: 中経出版
初版: 2014年10月15日

 

本の感想ですが、ひと言でいうと、めちゃくちゃ面白かったです!

「東大准教授に教わる」なんていうあざといタイトルがついているので期待してなかったんですが、あまりに面白すぎて最後まで一気に読んでしまいました。

久々に心底ドキドキするような知的興奮を味わった気がします。

 

この本は、敏腕の経営コンサルタント・投資家・経営者である塩野氏が、人工知能を専門とする東大の准教授である松尾氏に、人工知能の現在の未来について対談形式で語ってもらうという本です。

塩野氏はまったくの文系で人工知能の技術的な面についてはまったくの素人とのことですが、その豊富なビジネス経験と幅広い知識をもとに、鋭い意見や質問をバッサバッサと投げかけていきます。

松尾氏も松尾氏で、難しい技術のエッセンスをとてもわかりやすく伝えてくれています。

塩野氏が松尾氏にいろいろ教えてもらうという雰囲気ではなく、対等なテニスプレイヤーどうしの激しい知的ラリーの応酬を見るような感じです。まさにベストコンビって感じの二人だと感じました。

 

二人の話題は「人工知能って何?」という基本的なところからはじまります。でも、人工知能の具体的な技術内容には深入りせず、人工知能が今後の社会に与えるインパクトについて、大胆で刺激的な未来予測を繰り広げるという内容です。

「コンピュータの発達によって、社会制度の意味や人間の存在意義が根本から問われ直すだろう」という認識のもとに、今後われわれ人間が考えていかないといけないであろう論点が、次々と提示されていきます。それがとても面白い!

全編にわたって、人工知能の発達への不安感がうっすらと漂っていて、まるで「コンピュータが人間をコントロールする」というプロットのSF小説を読んでいるようなスリルを感じます。

 

たとえば私が面白いと思ったのは、犯罪に関するくだりです。(以下の例の部分は、本文の内容そのままではなく、私なりにちょっと変えてます。)

顔認識技術が発達し、町中に監視カメラが設置されると、犯罪者は確実に捕まえられるようになるでしょう。ところがそれは、どんな軽微な犯罪もすべてコンピュータに検出されてしまうということでもあります。

たとえば、自動車が一時停止を守らないと道路交通法違反です。制限速度を1kmでも超えればそれも法律的には違反です。罰点とポイント減点が待っています。

でもいまは全ての違反をチェックできないので、たまたま警察に見つかった車だけが罰金を払わなくてはならず、その他の違反者は見逃されるという状態になっています。(10km程度の速度制限については、たとえ警察に見られても基本的には見逃してもらえますが)

これはある意味不公平ですし、法律違反者を野放しにしているという言い方もできます。

ところが、それは適度に規律を持ちつつ息苦しくない社会を作る上での、絶妙な妥協点という側面もあると松尾氏は指摘します。

もちろん、コスト的に全部取り締まることができないという面がありますが、それをのぞいても、「全ての違反を検出されたとして、それを捕まえるような、窮屈で緊張感にあふれた社会を望むのか」という問題がここにあらわれてきます。

いま行われているような「適度に見過ごされる状態」を人ではなく情報システムで実現するなら、その「適度」をどうするのかを明確にルール化しなくてはいけなくなるでしょう。では、誰の責任で、どうやって決めたらいいのか・・・?

これまで人間がほどほどの緩さで運用してきたルールを、あらためて見直して基準を明確化しないといけなくなる。コンピュータ技術が行きつくところまで行くと、そういう問題が避けて通れなくなる・・・これは非常に興味深い指摘でした。

 

同じようなことは、車の自動運転についても言えます。

たとえばすべての車を自動運転にするとしても、突然の飛び出しや障害物の出現による衝突事故はなくならないでしょう。

自動運転の車が前の車に衝突することが避けられない状況になったとします。このとき、そのまま進めば乗客のうち3人が死ぬと予測され、右にハンドルを切れば2人が死ぬと予測されたとします。

その場合、自動運転のプログラムは2人が犠牲になるほうを選ぶべきでしょうか、それとも3人が犠牲になるほうが良いのでしょうか?(一時期はやった『ハーバード白熱教室』でも、これと同じような問いかけがありました)

もしそこに、すごく偉いVIPが乗っていた場合、助かる人数よりVIPの生存を優先するのが適切なのでしょうか。1人が死んで他の全員が無傷で済むのと、全員が等しく寝たきりになるのとでは、どっちを選ぶべきでしょうか?

ここでも、従来は運転者の責任としていればよかったところを、「プログラムにどう判断させるのがよいか明確に決めなくてはいけない」という問題にさらされることになります。

 

こんな感じで、狭い意味での人工知能の話ではなく、コンピュータ社会が行きつく先はどうなるかという話が、政治、経済、医療、日常生活まで、あらゆる側面について語られます。

やや極端な話も多いですが、とにかく面白いです。遠い未来をのぞいてみたい方におすすめします!

 

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