最近、仕事がとにかく忙しいので、「厚い本を読むのは疲れるなあ、薄い本をさらっと読み切りたいなあ」と思っていました。
そんなわけで、仕事帰りにこんな本を買ってみました。
(以下、ネタバレを含みます)
『ジーキル博士とハイド氏』
著者: スティーヴンソン
訳者: 田中西次郎
出版: 新潮文庫
この本、すごいです。
何がすごいって、価格がすごい!(笑)
なんと税別 286 円です!
税別とは言え、いまどき300円を切る本が売られているなんてスゴいです。
そしてもう1つすごいのが、文庫本の裏にちょろっと載っている、本の内容のさわりを紹介する文です:
医学、法学の博士号を持つ高潔な紳士ジーキルの家に、
いつのころからかハイドと名乗る醜悪な容貌の小男が
出入りするようになった。
ハイドは殺人事件まで引き起こす邪悪な性格の持主だったが、
実は彼は薬によって姿を変えたジーキル博士その人だった・・・。
さわりっていうか、
完全にネタバレですやん!
確かに「ジキルとハイド」といったら、本を読んだことがなくてもたいていの人は、二重人格の話だということくらいは聞いたことがあるでしょう。
それでも、「核心の部分までさらりとここに書いちゃうかぁ?」って思いました。いい根性です。
それはさておき、私もジキルとハイドは同一人物の異なる人格だ、ということは知っていましたが、なぜ二つの人格を持つことになってしまったのか、知りませんでした。
生まれながらに、複数の人格を持っている人物なのかな、くらいに思っていました。
しかし実は、さっきの内容紹介にもあったように、善良なジーキル博士が自分の意思で、ハイドになる薬を飲んでいたのですね。
では、一体なぜそんな薬を飲んだんでしょうか?
それはこういう理由でした。
ジーキル氏は若い頃から、「世の中で威厳を保って善良にありたい」という思いと、「快楽におぼれ、好き勝手に振る舞いたい」という欲望とをあわせ持ち、それにたいへん苦しんでいました。
そしてなんとかこの二つの相反する衝動を分離して楽になりたいと考えた。
そんな中、博士はある薬の存在を知りました。
その薬を飲めば、道徳や良識といったものの縛りを完全におさえ、快楽や暴力への衝動だけに身を任せられるようになるのです。
博士はついにその薬に手を出し、ハイドとなって、つかの間の自由と快楽に身をまかせた、というわけです。
つまりジーキル博士は、一般的に言われるような病としての多重人格(いまは解離性同一性障害と言うそうですが)ではないんですね。
この本が書かれた19世紀後半は、宗教改革やフランス革命、産業革命を経験したヨーロッパ社会が、猛烈なスピードで近代化をおし進めた時代です。
人々がそれまでにない自由を獲得すると同時に、自由を持て余し、快楽を享受するようになり始めた時代だと思います。
この小説が突き付けている「秩序と欲望(自由)をどうバランスさせるか」というテーマは、まさにこの時代の空気から生まれ出た、切実な問いかけであったのだと思います。
そしてこのテーマは、いまの時代の自分たちにとってこそ、重要な問題になっているなあ、と思いました。
やけに綺麗にまとめた風になりましたが(笑)、私の感想でした。予想以上に興味深く読みました。
ちなみに、最初のころは薬を飲むことでハイドとジーキルの間を自由に行き来できた博士ですが、途中からハイドの人格にむしばまれていきます。
夜、ハイドからジーキルに戻って寝たはずなのに、朝起きると勝手にハイドになっていたりという現象が現れてきます。
そして博士は次第に正気を失い、ついには自ら命を絶ってしまう・・・という結末です。
この物語に充満する、19世紀ロンドンの暗く不穏な空気感は、好きな人にはたまらないものがあるんじゃないでしょうか。
結末がわかっていても、読んでみると面白いかもしれませんよ。