読書好きの私ですが、いままで村上春樹の小説は読んだことがありませんでした。
私はこう見えてヒネクレ者なんで、村上春樹のように新作が出るたびにやたらと話題になったり、ファンや評論家にヨイショされるのを見ると、距離を置きたくなるのです。
わざわざおれが読む必要ないや、と(笑)
しかし正月に実家に帰ったとき、10年以上昔に買ったまま読まずにいた『ねじまき鳥』の1巻が、本の山の中から出てきたんです。
「あら懐かしい。おれもこんな本を買ってたんだな」と思ってちょっと読んでみると、これが悔しいことに実に面白い!
「それだったら食わず嫌いせずに、いっちょ最後まで読んでみるか」ということで文庫本3冊一気に読み、昨日ようやく全巻制覇しました。
(以下、軽くネタバレあります)
『ねじまき鳥クロニクル』
第1部 泥棒かささぎ編
第2部 予言する鳥編
第3部 鳥刺し男編
著者: 村上春樹
出版: 新潮文庫
率直な感想を言います。
私には、意味がよくわかりませんでした、ハイ(^^;
村上ファンの皆さん、すみません。
こんなにわかりにくい小説がたくさん売れるというのは、正直すごく不思議です。
第1巻では、主人公の身に次々と不思議なことが巻き起こり、変わった登場人物が入れ換わり立ち替わり現れます。
謎が謎を呼ぶような物語が続き、とにかく先が気になって仕方なかったです。はっきり言って物語に完全にハマりました。
しかし・・・2巻以降でもそれらの謎は謎のまま。個々の出来ごとの関係性や理由が漠然としたまま、話が進んで行きます。
行き先のない道をひたすら歩かされているような気分になって、だんだん読むのが苦痛になっていきました。
井戸って何なんだ?
綿谷ノボルの力って何だ?
他人の何をひきずり出すのだ?
ナツメグの「仮縫い」とは何?
精神的に犯すって、一体どういうこと??
それでも最後まで読めば、物語についてある程度納得感のある理解が得られるのかと思って読み進めましたが、何やら釈然としないままエンディングになりました(^^;
部分的に印象的なエピソードやセリフ、考えさせる話題はたくさんあるんですが、全体として、極めて「もにょもにょ」としたまま終わってしまった感じです。
感想をうまく言葉にできなくてすいません。私ももどかしいです^^;
物語の内容以外にも、「肌に合わないなあ」と感じた点がいくつかあります。
まず、気取った比ゆ的な表現が多い。こういうのを「村上節」というのかどうかわかりませんが、どうも鼻について仕方なかったです(苦笑)
あと、やたらと性的な表現を使っているところも気になりました。性は人間にとって重大なテーマであることは承知していますが、そんなに何度も射○(失礼)させる意味があるんでしょうか?
そして、同じところをグルグルして物語がなかなか進まない割に、文章がやたら長い。もうちょっとコンパクトになるのでは?(あんまりこういう言い方をすると、効率至上主義者みたいで気が引けますが)
要するに、私にはいまひとつハマれない作風の物語でした。
ただ、この物語を読んで改めて深く感じたことがあります。
それは、人は他人のことをわかったつもりでいて、ちっともわかっていないものだ、という事です。
平穏で幸せだったトオルとクミコの結婚生活は、あっという間に崩壊してしまいます。しかも、トオルが全く想像もしなかった理由によって。
先行きの不透明な世の中。しかしその中でも、人は他人と関係性を創っていかないといけないし、また創っていくことが可能なのだ。
そうしたメッセージを、トオルの苦しみと成長、再生のプロセスを通じて感じました。
今日のところの感想はこんな感じです。